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今日は美、芸術とはなんなのかということを考えたい。
自分が今の芸術界に抱いている思いを淡々と書いていこうと思う。
(自分は絵がメインなので音楽についてはよくわかない為そのへんはご了承いただきたい。)
(まぁおんなじだろうが・・・)
まず、美とは何か?
人はすばらしい絵を見ると美しいと感じる。すばらしい絵は飾りたいとも思うだろう。
だが、今の時代そういった絵画が評価されるとは限らない時代に来ている。
そういった起こりのはじまりがピカソ、マルセル・デュシャンの時代である。
この時代から絵を美しいものである必要性がないと考える画家がたくさん進出してきたのが背景にあります。
網膜の美術(見た目だけの美しさ)を20世紀以降美術としない考えが大いに名を馳せたのです。
そういった美術の固定観念をこなごなに砕いたことがこのとき認められ、この両者は世界的な芸術家として名を残すこととなった。
そしてこういったことを境に20世紀の美術は今まで先人が築いてきた美の歴史を砕くことによって大きく認められる時代となり、文字通りなんでもありの芸術世界へとはやがわりしていった。
こうして今の芸術界(現代アート界)は自分の作品を自分の哲学を説明するための説明図となっていったのである。
こうなった絵画はもはや一般庶民にはわかりえることの難しい、とても難題な代物であり、説明書きかなにかでもないとまったくわけのわからない、ごみと芸術スレスレといったようなものがあふれまわることになったのである。
こちら側の人間の自分でもよく理解のできない作品は多々あり、展覧会をみても結局なんだったのかよくわからない・・・なんてことも良くありました。
昔は自分のレベルが低いだけで、まだこういった作品のよさをわからないだけなのかと思っていましたが、1年がたった今はっきりということが出来ます。
それだけ自分の思いを伝えるのに遠回りな手段(絵画)を使うのだろうかと。
なぜそれほどまでして絵画である必要性があるのか?。
そんなに伝えたいなら文章で書けばいいんじゃないかと。
絵画の脆弱性としてそういった絵は見たときに伝わる部分はごく一部であるということがあります。
そんなことで製作者に主張したいことを絵にしたといってドヤ顔されても困ります。
それは単なる自己満足であるといえます。(反論はあると思います。)
絵画なんて自己満足であるというのも一理はあるとおもっています。
ただそんな一般の人にわからない絵を描いてどうするんだという思いが自分には強くあります。
作者の主張したいこと ≠ 美、美しさではないという今の時代のいきつく先が怖いのです。
私は美しいと思える、人間の心を大切にしていきたい
そんな絵画が描ければもう言うことはない。
そう思います。
これこそが自分の根源のテーマでもあるのではないかなと考えています。
絵とは色のカタマリである。
厳密に言うとただの色の置いてある紙であり、究極に言うと模様である。
たとえば油のシミにもおんなじことが言えるのかもしれない。
いくら油のシミでもきれいな形をしていればそれは美しいと感じさせることが出来るのかもしれない。
なぜ人は油のシミに美しいといった感情を抱くのだろうか?。
現代では自分の哲学を最も無駄なく短的に表現したものが評価される風潮がある。
こういった絵画が溢れるおかげで一般の人々には
・面白くない絵画
・説明図だけ見せつけられているような気分
・ましてやもう一度みたいとはまんざら思わない
と思うようなものばかりになっているような感じがする。
そしてこういった評価もかなり内輪的で閉鎖的であり、いまの普通の日本人は、日本の活躍している現代作家をどれほど知っていることだろうか?
ほとんど知らないのが現状ではないだろうか?
美しいと思える現象、 それは光ではないかと思う。
光があるからこそものが見え、色を識別することが出来、陰影を確認することが出来るのである。
美しい絵画とは、美しい光をみていることと同じなのである。
美しい絵画とは、美しい宝石をみていることと同じなのである。
いくら美しい絵でも真っ暗な闇の中にあれば人は美しいと認識することは出来ないだろう。
色のきらめき、輝きである。
宇宙が同じ光と影の世界によって表現されているとするなら、もしほかの惑星に生命体がいたとしても、
夜空を見上げて美しいと感じているだろうし、豊かな自然を見て美しいと感じているだろうし、
水面のきらめきを見て美しいと感じているはずである。
美術、芸術とは全宇宙共通の言語ではないか?
文字とはそもそも絵が簡略的に表されて作られた記号のことである。
こういうことから考えても自分はそう思わずにはいられないのである。
絵も音楽も、どの人が見ても、あるいは聞いても思うことはほぼ同じである。
バッハの曲は全宇宙の誰が聞いても美を感じることであろう!。
では究極の美とはいったい何なのか?
それはすべての宇宙生命体が美(一番美しい光)を感じることのできるものである。
ということが出来ると思う。
最近の芸術家は空間を作り出すことには成功しているとは思うが、美を作り出すことには成功していないと思う。
印象に残るもの、それはやはり光の美しさであると思います。
しかし今のこの時代はアートバブルともよばれるかつてない時代であり、わけのわからない絵にありえない値がつくといったことも可能な時代が到来しています。
こういったシーンから、もはや芸術、アートとはゲームになりつつあるのです。
なぜこんなことになったのかというと、ひとえにグローバル経済と情報技術の発達であるということができると思います。
人々が平和になり、値上がりの期待される投資商品の対象としてみこまれたことにあると思う。
これにうまく乗って大もうけした人が村上隆であるといえるだろう。
フィギア自体にそんな価値があるのではない。そこへ概念を箔付けしていって価値を高めることに成功しているのである。この手法はピカソたちと同じである。
しかしこういった絵画がマネーゲームの駒につかわれていくのはなんだか違う感じがするのである。
こないだの大震災が来て本当に痛感しました。
こんな価値のついた代物でも こんな時何の役にも立たない。
すべては金持ちの道楽であると。
うだうだと書いてきましたが、結局は
自分の中にある美を描きたいという欲求。
これを大切にして作品を作っていこうと思います。
万人にわかりやすく、そして心に残る美しい作品を!。
文章力のない俺の文章を読んでくださった方ありがとうございました。
批判でもかまいません。なにかコメントがあればどうぞ書き込んでいってください。
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